リトミックについて |
リトミックはスイスの音楽家であり、作曲家のエミール・ジャック=ダルクローズ(1865~1950)によって確立された音楽指導法です。 リトミックは音楽を通して身体全体で表現したりする感覚的な部分を鍛えていくものなので説明する事が難しいのですが、あえていうならば「自分の受け取った音楽などを自分の身体を使って表現すること」でしょう。 私は、特に幼児の音楽導入期を中心に指導したり、学んでいるのでそのあたりはのちほど改めて。 |
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リトミックの誕生 |
ダルクローズはソルフェージュの先生をしていました。 授業のなかで、音程はしっかりしているのにいわゆるリズム感のよくない生徒がいました。 その生徒がリズミカルにあるいている姿を見て、ダルクローズは人は一定の速さで歩いたりする事ができる。 それなら身体の中にあるリズム感を訓練することで、音楽のなかのリズムの感覚を鍛えることができるんじゃないかと考えた。 これが、リトミックの始まりです。 ダルクローズは生徒達を裸足にさせて自由にあるかせたそうです。 もちろん、すんなりとリトミックが受け入れられたわけでもなく長年の苦労の末、今ではヨーロッパでは当たり前の指導法であり、スイスには「ダルクローズ通り」があるくらいダルクローズ自身も認められているようです。 |
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リトミックが日本にやってきた |
では、スイス生まれのリトミックはどうのように日本に導入されていったのでしょう。最初に、学んだのは1906(明治39)年に歌舞伎の市川左団次(2世)がロンドンの俳優学校で3週間習ったそうです。舞踏、演劇界の人が取り入れてから、作曲家の山田耕作が1910(明治43)年に学校を見学して戻ってきます。 教育界で最初に学んだのは小林宗作。大正12年から一年間パリのリトミック学校に入学してダルクローズから直接習うことができました。そして、帰国後、幼稚園においてリトミックを取り入れた幼児教育を開始し、のちに自ら校長となった「トモエ学園」では黒柳徹子さんが転校してきて、リトミックの時間の様子はあの「窓ぎわのトットちゃん」でも紹介されています。小林宗作は戦後、国立音楽大学でリトミックの講師として学生たちにも指導をしていました。 リトミック自体、決して幼児対象の音楽教育ではないのですが、日本で紹介された当時ダルクローズの指導法が音楽教育界にすぐに受け入れられる状況ではなかったため、幼稚園、保育園を中心に普及されました。その影響もあり、現在でも、リトミックは子どもの為のものと思われている方が多いようです。 |
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リトミックを体験してみよう!(リトミックを知りたい方へ) |
リトミックはテキストに沿って行うものではありません。ダルクローズの理論にあわせて指導する人が組み立てていきます。ですから、これだ!というのはないのですが、一例としてすこし紹介しましょう。 まず、リトミックは『リズム』と『即興演奏』『ソルフェージュ』という3つからなりたっています。もちろん、組み合わせて総合的にする場合もあります。『リズム』とは、音楽にあわせて動いたり、表現することです。一番簡単なのは音楽にあわせて歩く、音楽がストップしたら止まる。音楽が速くなれば走る。なにかの合図で近くの人と手をパチンとあわせるなどなど。これを、合図は言葉で教えてもらうとして、実際には耳に届いた情報から判断して行動するのです。決して先生の言葉に合わせてしてはいけません。先生も言葉掛けをしてはいけません。『即興演奏』とは文字通りキーボードでの演奏です。指導者は、その場の状況に合わせて弾かないといけないので、いろんな奏法を知っていなければいけません。でも、高度な技術がある方がいいのですが、そうじゃなくて、それらしく聞こえるような、バリエーションのある弾き方が求められているようです。 『ソルフェージュ』は、「ダルクローズ・ソルフェージュ」といわれる独自のものがあります。私も今、特訓中ですが、「ド」を歌うことから始め、全音、半音の歌い分け、さらには音階練習に発展していきますが、常に固定「ド」で、例えばへ長調の場合でも、ハ長調の「ド」と同じところから歌って、「シ」はフラットの「シ」を歌います。「ド」から上の「ド」そして下行して元の「ド」に戻ります。そして、ホームトーン(主音の事をリトミックではそう呼んでいます。)の「ファ」にたどりついて終わるという感じです。
ホント、リトミックって奥が深くて説明するにも困ってしまうんですがある一面ということで御理解ください。そして、日本で主流となっている「子どものためのリトミック」に興味のある方はこちらからお入り下さい。
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